2025/01/06
私は物好きにも、医師になって9年目にエジプトのマンスーラという、ナイルデルタ(ナイル川河口にある三角州地帯)の真ん中にある泌尿器科センターに1年半留学(遊学?)した。それまで私は、泌尿器科では最も複雑で困難な手術の1つである膀胱がんに対する膀胱全摘と尿路再建の手術は、指導医の下で数例執刀した程度だった。
当時はインターネットもない時代で不確かな情報だったが、ナイルデルタでは風土病が原因で膀胱がんが多く、そのセンターでは膀胱全摘を毎日やっているばかりか、4つの手術室が毎日フル稼働しているという噂を聞いたからである。サダト大統領(アンワル・サダト大統領:1918~1981,エジプト・アラブ共和国初代大統領)の主治医だったプロフェッサー・ゴネイムが中東で初めて設立した腎移植センターが、このセンターの前身である。
「百聞は一見にしかず」で、そのセンターに辿り着くまではすったもんだの苦労もあったが、センター自体はエジプトとは思えないほどの(日本にもない)最先端の設備が整っており、当時では世界一の泌尿器科手術のハイボリュームセンターであったと思う。噂通り、膀胱全摘は毎日、生体腎移植も週2件は行われていた。さらに日本では滅多に見ることができない手術も日常茶飯事であった。日本に戻って、私のサブスペシャリティともなった尿道外傷の再建手術もこのセンターでの経験が基になっていると思う。
「日本は経済は発展しているのに、医学は発達していないのか?」「エジプトの医療はそんなに進んでいるのか?」とか「(わざわざエジプトまで来なきゃいけないなんて)どうして日本でもっと勉強してこなかったんだ」とからかわれながらのエジプト研鑽のスタート であったが、日に日に気付いていくことがあった。まず、どんな手術であっても、誰が執刀医であっても手順が決まっていること、もちろん執刀医によって巧拙はあるが、手技も決まっていること。決まりきった手順にしたがって、システマティックに進めていけば自動的に手術が無駄なく終了する。
やはり経験数がこれだけ多いと合理的な手順が(もちろん過去には試行錯誤があったかもしれないが)自然にできあがるのであろう。彼らには途中で迷ったり、考えたりする時間がほとんどない。ただし、話好きなので手術中の無駄口やジョークは多い。手順にしたがって手を動かせばよいのである。また外科解剖のあばきかたも見事で、初めは日本人とエジプト人では解剖が違うのではと疑ったくらいだ。
そして、まもなく私は彼らの手順、手技、卓越した解剖のあばきかたを記憶に残さなければいけないと考えるようになった。これら手術の手順や、見て覚えた手技、外科解剖のほとんどは意味記憶であろう。彼らのように毎日同じことを経験できれば忘れないであろうが、日本に帰り、手術の機会が少なくなれば忘れてしまうことを恐れたのだ。そこで私は、その日学んだ手術の手順や手技、外科解剖を絵やイラストにして、気がついたことはメモにして残していくことにした。なぜそういう手順なのか、なぜ彼らはそういう左手の使い方をするのか、自分なりに理解したことや、気がついたことをノートに記した。私がエジプトで学んだ最も重要なことは、「手術は暗記である」ということである。特に、一流の手術をコピーすることであった。
この泌尿器センターには優秀な外科医が大勢いたが、中には天才と呼べるような術者も何人かいた。よく指導してくれた親切な私の師匠(メンター)も、その天才の中の一人であった。ただし、彼が他の天才と異なるのは自分の背後にいる見学者の視線や、私を含めて見学者が何を見たいか、すべて察して手術できることであった。時に助手に教えるようにしているが、背後にいる私たちにもわかるように見せるための配慮であったと思う。
彼はすべての手技が効果的で無駄がないため、スローモーションで見ているようだが、手術時間は早い。そのため見せ場に時間を多く割けるのである。彼の手術は人気が高く、見学者もお互い譲り合いながら見学するが、皆満足していた。
その後、背後の見学者の視線を感じながら手術できる彼の能力は、ライブサージェリーでも存分に生かされた。カメラの位置、ズームインかズームアウトか、別室の視聴者たちが満足できるようにすべてをコントロールしながら手術をしていた。
ある技術を学ぼうとする者は、自らのミラーニューロンをフル稼働させ、上級者の技術を必死に真似て、盗み取ろうとする。そして経験豊富な指導者はその学習者のミラーニューロンの活動が見えるかのように、上手にデモンストレーションができる。おそらく上級者も背後から必死に見学する学習者の視線と同様に、自分を背後から客観視し、何を、どのように魅せたらよいか、自分の体験した記憶からすべて理解しているのであろう。主観と客観を使い分け、自由に行き来できるのが、手術の達人である。
プロ野球の選手も、Jリーグの選手も一生懸命やるだけでは観客を魅了できない。観客がどんなプレーを期待しているのか、どんなプレーに意表を突かれるのか、意識できるプレイヤーのみが真のプロフェッショナルといえるのではないか。
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
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