2025/01/13
子どもの頃は昆虫採集(私の場合はどちらかというと虫捕りか?)が好きだったが、なぜそんなに虫が好きだったかと問われれば、返答に窮する。おそらく自然の造形美に見惚れたか、昆虫の世界の多様性に惹かれたのかもしれない。金属光沢の甲虫やクワガタムシに超精巧な機械仕掛けのオモチャを思い、センス・オブ・ワンダーを感じたのを覚えている。
昆虫の世界ばかりでなく、世の中や自然界は多様性に満ちている。何らかの蒐集癖のある者は、その対象物の個性に惹かれ、あるいは類似性に興味を持ち、分類し、体系化することに喜びを見出すようになる。そして、虫好きであれば、たくさんの昆虫の名前や特徴を記憶する。いずれにせよ、他人の興味・嗜好は説明できないが(蓼食う虫も好き好き)、それらはモチベーションや記憶力の原動力になる。このようにして、われわれは好きなものの世界を構築し、分類(カテゴライズ)し、アルゴリズムを形成していく。
さて、技術や勝負を売り物にする職業の世界ではどうであろうか。イチローの一打一打は、すべて異なる。羽生善治氏は一局一局、すなわち一手一手で無限の局面が広がる。だから飽きずに練習に打ち込むことができ、考え続けることで、モチベーションを維持できるのである。そして彼らは、その一打一打、一手一手を記憶していて、言語化できるというのである。羽生氏の強さの秘訣は「将棋に関してなら、いくらでも考え続けられる」という飽くなき情熱によると言われている。そして、考え続けることは新しい課題を見つけ続けることでもある、とのことである。この能力のことを認知科学の分野では「問題発見能力」と呼ぶそうだ1)。さらに、新たに発見した問題に対応する能力や技術を身に付けようとするモチベーションが生まれるのである。このように、ある領域のプロフェッショナルとは、たとえその領域が狭くても、普通の人では到底及ばないほどの記憶量を保持し、分類し、あまたのアルゴリズムを形成した人のことではないか。そして常にチャレンジしてその世界を拡げ、構築し直しているとも言える。
手術も一例一例、全て異なる。全く同じ手術は存在しない。解剖の相違にもよるし、一つのアプローチ、一つの切開によってその後の展開は異なる。困難な手術であっても、手術をするからには言い訳はできない。やはりわれわれ外科医も多様性に対応すべく、手術について考え続け、問題を発見し、対応法を身に付けていかなければならない。これがわれわれのモチベーションを維持し続ける原動力となる。ハイボリューム・サージャンと呼ばれる、同じような手術を年間100例近く行うような外科医であっても、手術に飽きることはない。「好きこそ物の上手なれ」である。
いわゆるハイボリュームセンター(たくさんの手術が日々行われている病院)と呼ばれるようなエジプトの病院で手術のトレーニングを受けた私は、「手術は暗記である」という信念を持つことになった。そこでは当時、日本では大学病院でも年間10件程度に過ぎなかった膀胱がんに対する膀胱全摘+尿路再建が毎日、さらに生体腎移植も週に2件くらい行われていた。そして、どんな大きな手術やどんな複雑な手術でも、最初から最後まで手順がシステマティックに決まっており、執刀医が誰であってもその手順は同じであった。手順がAからZまであるとすると、A、B、C…と1つずつ暗記した手技を順番にZまで行えば、きれいに膀胱が摘出されるようにできているのである。しかもどんな段取り上手な料理人が考えたのか、これ以上ないほど合理的な手順であり、その無駄のなさに芸術的な「美」すら感じたのである。その時から私の持論は、「手術は暗記」である。その中には手順だけでなく、展開する外科解剖や針をかける位置、あるいは左手の使い方も、すべて暗記するということが含まれる。
地味ではあるが、手術が上達したければ、上質の手術を全てコピーして、暗記して、あとは同じようにできるまで実践するしかない。もちろん、実践しないと分からないこと、覚えられないこともいっぱいある。「暗記」という言葉が嫌いであれば、「手術は記憶である」と言いたい(ただし、ここで言う記憶とは、外科解剖や手順・手技の意味記憶である。当時はこれで正しいと思っていたが、本当の意味での重要な記憶は、無意識に覚える組織の質感や、無意識に正確に行える手技などの手続き記憶である)。
1)羽生善治,他:先を読む頭脳.新潮社,2009.
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
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