2025/04/28
われわれの世界は物理や科学の法則が支配している。一番は重力であり、モノが上から下に落ちる。いわゆる「万有引力の法則」である。リンゴは木から地面に落ちるが、天には向かわない。マメに片付けないと部屋や机の上が散らかっていくのは、「エントロピー増大の法則」である。さらに電車に乗っていて、急に停車すると進向方向に体がよろけるのは、「慣性の法則」である。法則といっても、われわれの体には自然と染みついているので、学校で習わなければ、これらが「物理法則」とは気がつかない。
ダ・ヴィンチ(da Vinci Surgical System)には触覚(力覚)がないので、硬い臓器もフニャっとした柔らかな臓器も最初は区別がつかず、初めて手術した時は少し「フアン」とした触感に不安を感じたが(砂浜の波打ち際で、引く波に足がすくわれるような感覚?)、それでも本当に初めの何回か手術をした時だけだった。
なぜか? それはちょっとした“魔法”を覚えることによって、視覚的手がかりが得られるからだ。フニャっとした臓器の場合、どこかをつかんで、引っ張って適度な緊張をかける。するとその臓器や組織の固有の質感や性質が不思議なことに見えてくる。ただ見ているだけではわかりにくい。適度な、強度や張力を与えることによって、視覚的に組織や臓器の質感や硬度がわかる。組織と組織の境界や、剥離面もわかる。剥離面には蜘蛛の巣や泡のような組織で糊付けされているのがよく見える。どの構造が要(かなめ)の組織か張力をかけることでわかる。また組織に張力をかければ、切りやすかったり、電気メスをチョンと当てただけで容易に切れる。緩んだヒモはハサミで切りにくいが、ピンと張ったヒモは容易に切れるのと同じ原理だ。電車を急に止めると慣性の法則がわかるのと同じである。この、組織に適度な張力をかけると視覚的に組織の性質を見極められるという現象も何らかの物理法則に基づいているはずだが、何という法則名かはわからない。
われわれ外科医はだいぶ前からこの法則に気づき、開放手術時代も組織を分けたり切ったりする前に、付近の適切な組織をつまんでトラクション(牽引力)をかけ、さらに助手がその反対方向に牽引する(カウンタートラクション)ことによって、手術を円滑に進めることができていた。この張力によって、剥離する面や、切るべき構造物がわかりやすくなるからだ。実は、この法則を状況に応じて自由自在に微妙に使い分けられることが、外科手術上達の秘訣であることを、名人は無意識のうちに知っている。もしかしたら、こういうものは法則ではなく「極意」というのかもしれない?
そして、この法則を拡張して運用することができるのがダ・ヴィンチの手術の特徴と言ってもよい。左の鉗子で牽引したり、組織に圧迫を加えたりして、組織の変化を見ながら、最良の剥離面に入ったり、組織と組織の境界をハサミで切るのだが、切るべき面が切る直前にわずかに裂けて見えるのだ。
もっと効果的な手段は、3本目のアームを使用して(実はダ・ヴィンチには第3の手がある)、組織を一定の力で牽引しておきながら、今度は残りの両手で微細な牽引をさらに効率的にかけることだ。この3本目のアームは、幾何学の問題を解くための補助線のようなものであり、開放手術時代から有効に使用してきた支持糸のようなものでもある。これをいかに有効に使用するかによって、ロボット支援手術の巧拙が決まる。ダ・ヴィンチの3本目のアームを「あまり出番がない」などとバカにしてはいけない。試行錯誤しながら、この第3アームによる最適な張力のかけ方を覚えることが上達を早める。「バカとハサミは使いよう」というが、バカとハサミ以上に優れものなのである。
この法則は、手術においては、さまざまな場面で適用されるので、「ひっぱりダコの法則」と呼んではどうだろうか? 一見、組織に作用を加えて、その変化を利用しているので、「作用・反作用の法則」のような気もするが、チョット違う。誰か、物理の法則のような、カッコイイ法則名を命名してください。
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
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