2025/05/26
他の昆虫の幼虫に卵を産み付け、自分の幼虫の餌にする狩人バチというハチの仲間がいて、ファーブルは『昆虫記』の中で、この一連の行動について考察している。ハチたちは驚異的な正確さをもって、巣を造り、狩りをし、相手の弱点(神経節)を正確に刺し、麻痺させ、巣の中に引き摺り込む。そして驚くべきことに、ちょっと順番を乱すだけで行動が一時停止したり、最初からやり直したりすることもある。彼らは、正しい順番で「きちんとやる」ことに、強くこだわっているのだ。
これだけ高度な技術や感覚を併せもち、仕事を正確に完成させる仕事師でありながら、手段と目的に関して虫たちはいつも無意識なのである。すべて本能のなせる技ということらしい。虫たちは考え直したり、熟慮したり、反省することはない。このような知能との相違が強調されている。それにしても、いったい何が昆虫たちに、その意味すら知らない仕事をさせるのだろうか? 「彼らを仕事へ駆り立てるものは、快感である」とファーブル先生は述べている1)。
人間は昆虫よりも、ずっと柔軟で合理的な存在のはずである。だが、手術室の中で黙々と作業する外科医の姿を見ていると、ふと狩人バチのことが頭をよぎる。同じ手術を何度も何度も繰り返す。それでも飽きず、むしろ淡々と、あるいは誇らしげに、再現性に挑み続ける。なぜか? それは、人間の脳もまた「正しく再現できたこと」によって報酬を感じるようにできているからだ。
脳には「報酬系」という回路があり、自分の行動が予測通りの結果につながると、ドーパミンという快感物質が分泌される。これは、いわば“よくやった!”という内側からの報酬だ。おそらく、外科医や職人あるいはスポーツ選手の脳は「再現性の喜び」または「再現性の快感」を求めている。ただし、その根底には、やはり共通点がある。「正しくやることそのものが快感である」という、本能に近い感覚だ。
そしてファーブル先生に「人生に何の役に立ちそうもない虫の観察をなんでそんなに続けられたのか」「なんでそんなに虫の生態を記録し続けたのか」と問えば、「それは快感である」と答えたかもしれない。
1)マルティン・アウアー(著),渡辺広佐(訳):ファーブルの庭,NHK出版,2000.
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
なにをお探しですか?