2025/06/09
「リスクを冒さなければ、技術は上がらない」
これは、外科医の世界では当たり前かもしれない。手術は常に、目の前の患者に対する責任と、不確実性と、そして恐れとの対話である。だが、その恐れを理由に一歩を踏み出さなければ、技術は決して深まらない。
それは、芸術やスポーツといった他の領域でも同じであろう。スタイルを変えるリスクの例として、本編ではピカソについて述べたが、環境を変えるリスクについて、放浪の貼り絵画家、山下清を挙げたい。彼は知的障害を抱えながらも、驚くほど精密で豊かな作品を残した。「裸の大将」としてテレビでも知られる彼だが、その人生は決して穏やかなものではなかった。彼はたびたび施設を抜け出し、何も持たずに旅に出た。食べ物に困り、泊まる場所もない。それでも彼は、リスクを冒して旅に出た。
なぜか。
すべては、見て、感じて、表現するためだった。写真も使わず、記憶だけを頼りに風景を再構成し、貼り絵に仕上げる。細部の配置、光の入り方、遠近感――それは旅の中でしか得られない「実感」の結晶だった。外科医もまた、教科書通りでは済まされない現場に立つ。誰もが同じ身体構造をしているようでいて、一人ひとり微妙に違う。出血のタイミング、癒着の程度、器具の使い方――常に判断が迫られる。そこに“挑戦”がある。そしてその挑戦こそが、医師としての腕を磨く土台になる。
もちろん、リスクには責任が伴う。命を預かる現場では、軽々しく冒険などできない。だが、だからといって安全圏に閉じこもっていては、外科医は育たない。まるで旅をせずに風景を描こうとするようなものだ。
山下清は、「旅をすると、いろんなものが見えてくる。それを覚えておくと、絵が描きやすくなるんです」と言った。手術でも同じだ。失敗を恐れず、未知に足を踏み入れ、何度も手を動かすことでしか、見えてこない風景がある。大げさに言えば、リスクを冒さなければ、本物の熟達はない。それは、手術台の前でも、放浪の旅の途中でも、きっと同じことなのかもしれない。
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
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