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ロボット手術はなぜすごい 連載 第13回

コラム ロボット手術はなぜすごい

2025/01/20

第13回 外科医の哲学は再現性

ノラリ・クラリ(ロボット外科医)
外科医の哲学

ランナーとしての村上春樹氏が、『走ることについて語るときに僕の語ること』で、サマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学がある」を引用して、どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう、と述べている1)。

ここで重要なことは、継続すること、試行錯誤すること、そして前向きであれ後ろ向きであれ、常に考察することである。このようにして脳内に1つの“髭剃りの神経回路”ができあがると哲学も生まれるが、継続、試行錯誤、考察を繰り返せば、可塑性のある神経回路も変化して、哲学も微妙に変化するであろう。若い時の哲学が老年期の哲学と同じであることはありえない。

本連載の第11回で、私が受けたエジプトでのトレーニングについてふれた。どんな手術であっても、誰が執刀医であっても正確に手順が決まっていること、決まりきった手順に従って、システマティックに進めていけば自動的に手術が無駄なく終了する。複雑な膀胱がんの膀胱全摘術+尿路再建術であっても、誰が考えたのかと感心するくらい合理的で、これしかないという計算し尽くされた手順・技術に驚いた。やはり、毎日毎日膀胱全摘を積み重ねれば、手術の最終形から逆算したような公式(アルゴリズム)が生み出されるのである。これが彼らが自然に身につけた膀胱全摘の哲学であり、膀胱全摘を完遂させるための神経回路が彼らの脳内に明確に構築されていたに相違ない。

当然、手術は目的さえ達せられれば、そこに至る順序は別に構わないので、試行錯誤の段階では、無駄が多く、解剖を無視した出血の多い手術となる。手術時間も長くかかり、このような手術に助手たちは疲労困憊で、恐怖と退屈を存分に味わわなければならない。日本で散々このような経験をしていた私には目からウロコで、最初は日本人とエジプト人で解剖が異なるのではと疑ったほどだが、まもなく、彼らの神経回路を自分の脳内にコピーするという近道を思いついた。カンニングと言えなくもない。

それでも、「手術の哲学とは?」と問われれば、「合理性と再現性」と答えたい。

手術の再現性

同じ手術であれば、最後はいつも同じきれいな仕上がりになるのが、外科医としての喜びである。人体解剖には多少の個体差があり、同じ疾患であっても局所解剖が大きく異なることもあるが、それでも最終形がほぼ同じようにできあがってくれば、頭の中で鼻歌を歌っているかもしれない。

手術の再現性を生み出すには、ハイボリュームセンター(たくさんの手術が日々行われている病院)で繰り返し、繰り返し同じ手術を観察し、今度は自分で繰り返し、繰り返しやってみることが必要である。当然、個体差や病態差に対する対応能力を身につける必要がある。手順や展開がいつも同じように行われれば、外科解剖の構造も再現性をもってほぼ同様に現れる。あるいは同様に見える。「こうすればこうなる」と予想通り展開していくことに喜びさえすら生まれる。外傷により正常な解剖が失われた病態を修復する再建術では、とりわけ再現性の喜びを感じる。尿道括約筋の太さ、膀胱と尿道の吻合の再現性。同じ形態に仕上がれば、これで正常な機能が蘇るだろうと確信できる。

手術の再現性は、答え合わせで正解だった時の感覚に似ている。あるいは解き方をあらかじめ知っているが、その通りに問題を解いて、正解にたどり着いた時の感覚である。詰め将棋の答えを見て、それを覚えて実際に駒を動かしていって、当然であるが、その通りに相手の玉が詰む。「うーん、なるほどな。きれいな詰ませ方だ」と思う瞬間である。

暗記では分からないこと

エジプトのトレーニングから何年か経ち、さらにその後の日本で培った経験も加え、自分のイラスト主体の手術書を2巻上梓した。それこそ、手順を細かなイラストにして漫画のように描き、一連のイラストを順番に行っていけば手術が完遂するというコンセプトの手術書である。言葉による説明は極力少ない。特に、定型的な手術であれば(極端な話、膀胱全摘のような複雑な手術であっても)、手術の手技をAからZまでの要素に分解し、手順通りに完遂すれば、考える時間を省くことができ、無駄のない系統的な手術ができるということを売りとした。

もちろん、暗記する1つひとつの要素は、理にかなった手技であり、術者や施設により異なるが、私の場合は左手の使い方や、結紮の順序も決めてある(全て上級者のコピーではあるが)。さらにトラブルシューティングさえも暗記してしまえばよいと考えている。受験勉強の無意味な暗記と異なり、これは「意味のある暗記」であろう。

しかし、序文で「手術は暗記である」と説いて、物議を醸した。「言い過ぎではないか」と反発も呼んだ。暗記という言葉には、何か受験勉強時の辛いイメージがつきまとうのか、あるいは多くの外科医は、手術にはもっと高尚な芸術的要素や、スポーツのトリッキーなプレーのような創造的要素が重要で、ひらめきや咄嗟の判断で切り抜けていくものであると自負しているのかもしれない。

手術には、外科解剖の知識や、手術器具の上手な使い方、止血方法や組織の剥離方法など、技術的なことも覚えなければならないので、地道なトレーニングも必要である。確かに、手順だけ覚えても、初心者ができないのは当然として、若手でも簡単にはできない。何が足りないのか? それは外科解剖を綺麗に展開するために組織の性質や質感を理解し、それらにどう対処していくのかに、時間と経験(訓練)を要するからである。視覚で触覚や質感を記憶し、それらから最善の、あるいは最も効果的な対処を体や指先で身につける手続き記憶(直感)が、名人になるためには重要なのである。

文献

1)村上春樹:走ることについて語るときに僕の語ること.文藝春秋,2010.

北斎漫画のような手術書を描いてみたかったが…。暗記だけでは手術はうまくならない?

(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)

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