2025/06/02
みなさんは、だまし絵で有名なエッシャーの「物見の塔」や「上昇と下降」を見たことがあるだろうか。彼の版画は、現実では絶対にあり得ない構造なのに、なぜか私たちの目には「そう見えてしまう」。これは脳の「錯視(さくし)」と呼ばれる現象である。
今まで述べてきたように、私たちの脳は、目から入った情報をそのまま映しているわけではない。脳内で「過去の記憶」や「世界のモデル」と照らし合わせて、“こうに違いない”と予測して映像を作り出しているのだ。エッシャーは、その脳の「予測と補完」のクセを逆手に取り、ありえないものをありえるように見せる達人だった。すなわち、エッシャーの創り出した不思議な世界のルールを鑑賞者であるわれわれが認めれば、あるいは両者で約束事を取り決めることによって、われわれもその不思議な世界の住人になれてしまうのだ。
ダ・ヴィンチ(da Vinci Surgical System)で手術をしていると、「この触覚は錯覚だろうか?」、あるいは「われわれはダ・ヴィンチに騙されながら手術をしているのでは?」と思うことがある。ダ・ヴィンチ手術では、視覚情報から実際にはないはずの触覚(力覚、圧覚)が生えてくるという話をした(第20回参照)。もしかしたらこれも錯覚かもしれない?
予測が知覚を創る脳の仕組みによって、触覚がなくても、視覚で右のハサミが血管や筋肉に触れるのが見えれば、脳は右のハサミが血管や筋肉に触った気になってしまうのだ。しかし、ダ・ヴィンチの術者があたかも触覚があるかのように感じるのは、視覚的な手がかりだけではなく、自分が手指を動かしたり、力を入れたりすることで、その位置や動いた距離、力の入れ加減が、筋肉からの深部感覚を通して逆に大脳へフィードバックされていることも、当然関与しているはずだ。すなわち、ダ・ヴィンチにおける擬似触覚は、自分の運動ニューロンで組織に加えた作用を基に、自分の視覚と深部感覚の両者で生み出した正しい錯覚(?)と言ってよいのかもしれない。錯覚であっても、自分の脳で作り出したバーチャルな世界のルールに適合していれば、擬似触覚は十分にその世界で役立つのである。経験豊富な外科医になれば、どのような動きをすれば、どの程度の力が加わるかを無意識に記憶しているであろうし、それによって、実際の触覚がなくても、経験的に適切な力加減で操作可能になる。
したがって、現在のダ・ヴィンチ手術は、「錯覚」や「倒錯」を利用した仮想手術なのであるが、むしろ積極的に活用され、騙されながら、外科医は高精度な手技を安全に行うことができるのである。ダ・ヴィンチ手術においては、「錯覚」や「倒錯技術」が正しいルールとして成立して、新しい世界を創り出しているのである。錯覚は、脳の「世界モデル」の限界が見える瞬間でもある。しかし、その限界を超えて、繰り返し「世界モデル」を更新していくのが、外科医の脳なのかもしれない。
ダ・ヴィンチ手術の世界は、最初は“巨大なエッシャーの錯視世界”と類似している。しかし、経験と記憶を重ねることで、その視覚情報は「正しい現実」になっていく。脳は騙されやすいが、その「騙されやすさ」こそが学習と進化の源になっているのかも?
(本連載は医学書院のWebサイト『Medical Mashup』より許諾を得て転載しています)
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